囃子と山車

囃子

囃子の流派は、王蔵流(古囃子とされる)で、昭和30年、お隣の上鹿山地区の人々によって伝えられました。当初は、「ニンバ」のみ伝授されましたが、近年、「屋台」、「鎌倉」、「子守唄」を習得しました。演奏構成は、笛1人、シラベ2人、オオマ1人、鉦1人に、「獅子」、「天狐」、「三番叟」、「住吉」、「外道」、「もどき」(ひょっとこなど)、「天太」(おかめ)などの舞(踊り)がつきます。

山車

高麗川の山車は、昭和30年(1955)に東京都青梅市北小小曾木(現・成木八丁目)から譲渡されました。当時は、大型トラックがなかったため、青梅から曳いて歩いてきたそうです。製作年は不明ですが、北小曽木と高麗川で使用されてきた期間を考えると、およそ100年は経過していると考えられています。四ツ車で一本柱の高欄を擁し、木鼻が前に大きく迫り出した「南高麗型一本柱人形山車」という、近年では非常に珍しい構造のものになります。人形は、入手当初は載せていましたが、残念ながら現存していません。また、現在の車輪はゴムタイヤで、これは入手時に車輪(源氏車)のみ新築された北小曾木の山車に流用されたためです(現在も北小曾木で使用されている)。

南高麗型とは、南高麗(埼玉県飯能市西部)周辺に多く見られる山車で、先述のとおり、木鼻が前に大きく迫り出しているのが特徴です。南高麗は山々に囲まれているため、起伏の激しい場所が数多く見受けられます。通常このような場所ですべての車輪が固定されている四ツ車の山車を曳きまわすと、片方の車輪が浮いて転倒する危険があります。しかし南高麗型は、後輪は固定されているものの、前輪には遊びがあり、上下前後左右、すべての方向に車輪が動きます。そのため、車輪が浮いてしまうような坂道やうねり道でも、常にすべての車輪を地面に接することが可能なのです。正に先人の職人が編み出した、地域に根付いた山車といえます。

保管は長年、上鹿山に鎮座する高麗川神社(八坂神社)境内の山車小屋を利用していましたが、現在は令和2年に新築移転された高麗川区公会堂に併設の山車小屋に仕舞われています。ここ数年は急速に老朽化が進んでいますが、高麗川の歴史を物語るものとしてだけでなく、山車の文化財的価値の観点からも大切に使用していきたいと考えています。


※このページの作成にあたり、「祭禮技術研究所」に多大なるご協力をいただきました。誠にありがとうございました。