歴史
これまでのあゆみ
昭和28年(1953)に高麗川区が創立すると、年々祭りを行おうという声が高まり、昭和30年(1955)、東京都青梅市北小曾木(現・成木八丁目)から山車を入手しました。これに伴い、上鹿山囃子連から王蔵流の囃子を伝授され、囃子団体が発足、その年の秋には初めての祭礼が開催され、山車の曳きまわしが行われました。当日は家々で赤飯を炊き、揃いの着物と襦袢を身にまとって祝いました。
平成に入ると次第に会員数が減少し、存続の危機に陥ります。そこで同9年(1997)、高麗川区と隣接する四本木区の有志12名が発起人となり「祭り囃しの会」が発足し、高麗川・四本木両地区の合同運営という形で新たな門出となりました。このころ、活動は最盛期を迎え、子供たちの数もこの時期が最も多く、活気ある時代でもありました。
それから月日が経った平成21年(2009)、四本木区が地区内に公園が完成したのを機に単独で夏祭りを開催するようになり、運営も再び高麗川のみで行うようになります。それにともない団体名を「こまがわはやし連」に改称しましたが、このころから再び会員数が減り始め、子供の数も激減しました。その後、平成23年(2011)に高麗川区自治会の下部団体となり、団体名を「高麗川囃子連」に改称しました。
また平成25年には、高麗川区自治会創立60周年に伴い、囃子連を盛り上げようという声が高まり、数名が練習を重ね、それまで未習得であった曲(屋台・鎌倉・三番叟・数え歌など)を習得しました。
令和元年(2019)5月1日には「日高祭りばやしのつどい」を主催し、JR高麗川駅前で日高市内の全6つの囃子団体がお囃子を披露しました。これは市内でも初めての試みでした。
さらに令和元年12月には上鹿山囃子連(王蔵流)・四本木囃子連(王蔵流)・高萩囃子保存会(高萩ばやし)・原宿囃子連(小田原囃子若狭流)・武蔵台囃子連(小田原囃子若狭流)とともに「日高祭囃子連合会」を結成し、団体同士の交流のみならず、後継者の育成や地域貢献のために連携しています。
近年は高麗川区納涼夏祭りでの演奏だけでなく、地元の巾着田で毎年開催されている「巾着田春まつり」や「巾着田曼珠沙華まつり」、日高市内で行われる「ひだか市民まつり」などでも演舞を行い、活動の場を広げています。
年表
昭和28年
- 高麗川区自治会が創立
昭和30年
- 青梅市北小曽木(現・成木八丁目)から山車を入手
- 旧囃子団体が発足
- 初めてのお祭りを開催
平成9年
- 高麗川区自治会、四本木自治会の有志12名が発起人となり、「祭り囃しの会」を発足
平成18年
- 「巾着田曼珠沙華まつり」に初出演 ※以降不定期に出演
平成21年
- 四本木が独立
平成23年
- 高麗川区自治会の下部団体となり、「こまがわはやし連」に改称
平成25年
- 「高麗川囃子連」に改称
- 「巾着田菜の花まつり」に初出演(上鹿山囃子連、原宿囃子連、武蔵台囃子連と共演) ※以降定期的に出演
平成26年
- 上鹿山囃子連から新たに習得した曲(屋台・鎌倉など)を夏祭りにて初披露
平成27年
- 「高麗川囃子連六十周年記念祝賀会」を開催
平成28年
- 「ひだかワンデーウオーキング」に初出演 ※以降不定期に出演
平成29年
- 「日高市民まつり」に初出演
平成30年
- 「県道飯能寄居線バイパス 新堀北平沢工区 開通記念式典」に出演
- 「第一回日高市王蔵流交流会」を開催(上鹿山囃子連、四本木囃子連などが参加)
令和元年(2020年5月1日〜)
- 奉祝と観光客誘致のため、「日高祭ばやしのつどい」を開催し、日高市内全6団体(上鹿山囃子連・高麗川囃子連・四本木囃子連・高萩囃子保存会・原宿囃子連・武蔵台囃子連)が高麗川駅前にて囃子を披露 ※飯能日高テレビ・文化新聞にて紹介される
- 「第8回王蔵流交流会」に上鹿山囃子連の特別招待で四本木囃子連と合同参加
- 「第49回飯能まつり」に上鹿山囃子連とともに居囃子で参加
- 「日高祭囃子連合会」の発足に参加
令和2年
- 高麗川区公会堂が新築移転され、山車小屋が併設
令和2年
- 新山車小屋に山車を移転